協同組合と共済事業の発展をめざし、調査・研究、教育・研修、広報・出版活動のほか、共済相談所として苦情・紛争解決支援業務を行っています。
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「釜石の奇跡」って聞いたことがあるけど?

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事例1:高台への避難を促す小中学生

 地震発生直後、釜石東中学校の生徒達は直ちに学校を飛び出し、高台をめがけて走りました。近所の鵜住居(うのすまい)小学校の児童や先生達は校舎の3階に避難しようとしていましたが、「3階より高い津波が来たら大丈夫なの?」という声と避難する中学生の様子を見て、すぐに校舎を駆け下りあとに続きました。
 避難先指定の施設にたどり着き、脇の崖が崩れかけているさま、津波が家々を壊している光景を見た生徒が「ここじゃだめだ!」と先導し、さらにうえの高台に避難をしました。高台に着いたとき、背後で巨大な津波が学校を、そして町を飲み込んでいました。

事例2:避難所まで一人で避難した小学校1年生

 自宅に1人でいた小学1年生の子どもは、学校で教えられていたとおり、避難所まで自力で避難しました。

事例3:垂直避難を判断した小学校6年生

 兄弟2人で自宅にいた小学6年生は、「逃げよう」という弟をなだめ、自宅の3階に上り助かりました。すでに、自宅周辺は数10㎝の水量で、大人でも歩行が困難な状態になっていたため、自宅から逃げることはとても無理だと判断したのです。


東京大学片田研究室 提供

【コラム:今も残る津波の傷跡】

 津波の災害を受けた各地には、数多くの津波記念碑があります。
 東松島市の牛網地区には「津波の教え」と刻まれた石碑が建っています。「ここにも津波は来る」という題目に始まる碑文にはこうあります。「私達は、この日を教訓として後世に伝え続けたい。誰しも予想しない大津波が襲い、愛する父、母、子、兄弟、友人、知人と多くの人を失いました。多くの家が、そして我が家も流されました。ここは『大丈夫』ではありません。常に心がけて再び悔いの残らぬようにまずは逃げる...高台へ。伝えてほしい未来に生きる人達へ」と結んでいます。津波は川をさかのぼり、4キロ先まで到達したといいます。
 釜石市の根浜海岸の東日本大震災の石碑「津波記憶石」には「ともかく上へ逃げよ。てんでんこで逃げよ。自分を助けよ。この地まで、津波がきたこと そして、裏山へ逃げ 多くの人が助かったことを後世に伝えてほしい」とあります。